01 / 母の言葉
子どもの頃、母がいつも口にしていた言葉があります。
「良いことをすれば、良いことが起きる。」
その言葉を忘れたことはありません。
私なりに、その時々で良いと思うことをしてきたつもりです。
けれど、今になって振り返ってみると、それは本当に誰かのためだったのだろうか。
もしかすると、自分が満足するための「良いこと」にすぎなかったのかもしれません。
人生をより充実させるためにも、私はもう一度、本気で思いました。
これからは、
本当の良いことをしよう。
02 / 一個のドーナツ
そんなある日のことです。
友人が、ある仕事の話を持ってきました。
なかなか魅力のある話でしたが、私はすぐには決めず、
「少し考えてみるよ」
と答えました。
その時、デスクの上には、先ほどいただいたばかりのドーナツが一つありました。
私は何も考えず、そのドーナツを半分にしました。
「このドーナツ、すごくおいしいんだよ。食べてみて」
そう言って、片方を友人に差し出しました。
その場では、それだけのことでした。
03 / 夜の気づき
これだ。
夜になり、コーヒーを飲みながら空を見ていたときです。
突然、あることに気づきました。
私は、なぜドーナツを半分にしたのだろう。
相手を喜ばせようと、特別に考えたわけではありません。
良い人に見られたいと思ったわけでもありません。
ただ自然に半分にして、友人に渡していました。
その瞬間、閃いたのです。
これだ。
04 / 幸せの標準装備
人を喜ばせようとするココロは、誰かに教えられて初めて持つものではない。
人間には、生まれたときから備わっているのではないか。
いわば、誰の中にもある幸せの標準装備です。
けれど私たちは、仕事や予定に追われ、自分のことで精一杯になると、そのココロを忘れてしまいます。
それでも、目の前に一個のドーナツがあったとき、私は何も考えず、半分こにした。
世界のいろいろな場所で、同じような光景が生まれているのではないでしょうか。
一個のドーナツを半分にする人。
それを誰かに差し出す人。
受け取って、うれしそうに食べる人。
それは、とても小さな出来事です。
けれど、良いこととは、本来そのくらい自然で、小さなものなのかもしれません。
05 / 半分この、その先へ
私は、友人が持ってきた仕事を一緒にやることにしました。
利益も半分。
責任も半分。
そのビジネスは成功し、それなりに話題もつくりました。
もちろん、ドーナツを半分にしたから、ビジネスが成功したという単純な話ではありません。
ただ、あの日の私は、自分の利益だけではなく、相手の幸せも同じように考えて決断することができました。
母が言っていた、
「良いことをすれば、良いことが起きる。」
この言葉を、初めて自然に生きられたような気がしました。